歴史解説
蒼嶺学園大学は、明治末期の教育改革者・青柳修三郎博士(1855-1932)によって1910年に創設された私立大学です。
博士は貧しい農家に生まれながら独学で学び、奨学金を得て欧州に留学。英国・ドイツの伝統的な寄宿学校制度に感銘を受けつつ、当時の日本が急速な西洋化の中で若者たちの精神が荒廃していくのを憂いました。「自然の厳しさの中で心身を修め、清らかで強靭な人材を育てる」場が必要だと確信した博士は、山梨県の高原地帯に大学を設立。「蒼嶺」という名は、この青くそびえる山嶺のように不動の精神を象徴しています。創立当初は小規模な男子校としてスタートし、全寮制・制服着用・体育必修という独自の教育システムを導入。当時は異端視されることもありましたが、博士の強い信念と卒業生の活躍により、次第に評価が高まりました。
戦後には共学化が進み、1950年代に女子学生を受け入れ、男女共通の厳格なルール(制服、体操着、寮生活)を確立。博士の遺志である「性別を超えた平等な修養」を実現しました。戦後の混乱期には一時的に学生数が減少しましたが、1960年代以降の経済成長とともに志願者が増加。学部拡充と大学院設置を進め、現在の総合大学へと発展しました。1990年代からは、厳しい学則と全寮制による精神的負荷への対策として、メンタルヘルス支援に本格的に取り組み始め、カウンセリング体制の整備や自然を活かしたケアプログラムを導入。2000年代以降はさらに充実させ、現代の学生ニーズに対応しています。
現在は、清里高原キャンパス(本キャンパス)と緑ヶ丘医療キャンパス(医学部・看護学部)の2キャンパス制を採用。卒業生は教育・医療・法曹・行政・企業など幅広い分野で活躍し、「蒼嶺で鍛えられた強さ」が社会での信頼につながっていると評価されています。
略年表
- 1910年 青柳修三郎博士により蒼嶺学園大学創立(男子校、私立大学として認可)。初代学長に博士就任。全寮制・制服着用・体育必修を開始(清里高原キャンパス)。
- 1913年 初の卒業生を送り出す。博士が「蒼嶺の精神」を正式に大学憲章に記す。
- 1923年 関東大震災後、被災地支援活動を行い、社会的評価を高める。
- 1932年 青柳修三郎博士逝去。大学内に博士記念館を建立。
- 1947年 新制大学に移行。文学部・法学部を設置。
- 1955年 共学化開始。男女共通の制服・寮生活ルールを導入。
- 1965年 看護学部を設置。経済学部・教育学部の定員を増員。学生数1,000名を超える。
- 1970年 経済学部を経営経済学部に改組。
- 1978年 理工学部を設置。
- 1985年 医学部・看護学部を、緑ヶ丘医療キャンパスに移転。
- 1989年 奨学金制度を大幅拡充。療養施設との提携を強化。
- 1995年 メンタルヘルス支援に本格着手。専門カウンセリング室を設置。
- 2000年 森林浴プログラムを試験導入。
- 2010年 創立100周年記念式典開催。
- 2020年 メンタルヘルス支援センターをさらに強化。オンライン相談体制を整備。
- 現在 6学部(経営経済学部、法学部、教育学部、理工学部、医学部、看護学部)を擁し、約3,000名の学生が在籍。全寮制と厳格な教育を維持し、次代を担う人材を育成中。
蒼嶺学園大学は、110年を超える歴史の中で、時代が変わろうとも創立者の理念を守り続けています。
特に1990年代からのメンタルヘルスへの取り組みは、厳しい環境だからこそ心のケアを重視する本学の姿勢を示しており、これからも「蒼嶺の精神」を次世代へ伝えていきます。
── 蒼嶺学園大学 広報課